スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

昭和残像、ブーケ物語 その4

 学生運動も下火になりかけていた頃、ノンポリ気味だった私たちは、もっとノンポリになっていた。
 小さなコーヒーショップ『ブーケ』に集まる連中は、誰もかれも政治に興味がない者ばかりで車や女にばかり目が行くような輩だった。けれどステータスの高い人々だったのかもしれない。
 皆、伝言板代わりに使ったりグループ交際の場として利用していたが、私のようにどっちつかずの田舎者にとって『ブーケ』は目から鱗の世界だった。夜も6時を過ぎると学生のグループに混じってレーサーの卵やグッと大人の紳士も居た。
 その日は慶応と聖心のグループは集まりが悪く景山からの伝言もなかったが、慶応のグループのOBらしいAさんが居た。彼は大企業に勤めているらしく私から見てもビシっとした高級そうな身なりをしていた。見聞きした話によるとAさんの父親は外務省の偉い人で奥さんは三姉妹の真ん中で姉妹はそろって聖心出なんだとか…どちらにしても私にとっては雲の上の人たちだった。ただ、私の場合、大阪の河内の田舎の博徒を祖父に持つと言う半端な環境に育ったせいか慶応だろうが聖心だろうが「ごきげんよう」の世界なんてまったく知らないからかえって強かった。慶応だろうが聖心だろうが白百合だろうが、彼らのその環境にも頓着しなかった。本当は少しはしときゃ良かったんだけどね。
 その日は、そのAさんと親しく話し込んでしまった。放送の世界のコンテンツ制作の話や女子アナにバカにされた話を笑いを入れて紹介したり…ど素人に毛が生えた程度だったのに今思い返すと恥ずかしい。
 あのレモンちゃんこと落合恵子さんの話もしたかな。その話は、また別にしよう。
 さて、そのAさん何を思ったか貧乏そうでボンクラな私をいたく気に入ってくれて
「ねぇ、この後どうするの?」
「え?何もないです。帰って寝るだけですね」
「んじゃ赤坂へ行こう!生のラテン系のバンドが入ってるサパークラブって奴だよ。たぶん、そこで洋子にも会えるし」
洋子???洋子って何だ??誰それ?洋子は洋子?と訳が分からないままAさんのベンツ270SLに乗った…ベンツに乗ったのなんて初めて…。
 着いたところは赤坂の『マヌエラ』と言う店だった。
 この後…芸能界と言う凄い世界を体験することになるのだが…。
ベンツ270SL、ロングのミンクのコート、そしてあか抜けしたモデルみたいな人たち…キラキラピカピカで…ウァ~~!!!私が腰を抜かす夜が始まった…。


スポンサーサイト

ブーケ物語 その3

 景山民夫から数時間のレクチャーを受けた私は、さっそくADのバイトをやっていた文化放送にかけ合ってみた。放送作家として使ってもらえないかと…図々しいにも程があるが、驚いたことに予算の関係で作家のいないラジオ番組の台本を書かせてもらえることになった。30分枠の女子アナが一人でしゃべっている音楽つきのエッセイのような番組で一ヶ月4本で1万円。しかもいきなり2本の番組を任された。繰り返すが当時の初任給2万円ほどの時代である。
 そんなこんなで放送作家の道を歩みだした私はブーケにも週2、3回は顔を出していた。もちろん景山氏にコントの原稿を渡すのが主たる目的だった。作ったコントは当時放送されていた番組を真似て書いたのだが…原稿を渡そうにもちっとも景山氏に会えない。仕方なく店に置かせてもらっていたが書いたものが、いつの間にか消えていると言う具合で彼の手に渡っているのかも?と思っていた。
 ガソリンスタンドのバイトは既に辞めていたのでブーケに顔を出すのが昼過ぎから夕暮れ以降に変わっていた。昼間は逆に薄暗い店内が夜は電球のオレンジ色に照らされた空間となっていた。紫色のタバコの煙で斜がかかり夜目遠目傘の内で女の子もいっそ綺麗に見えた。
 毎日6時頃に決まって入ってくるプロダクション経営のタンクみたいな親父が元気だ。良く知っていようがいまいがお構いなく全員に声をかけレギュラー席にしていた一番奥のカウンターにドカッと座ってコーヒーとホットドックと今で言うミネストローネスープをオーダーする。
 その日、何故か、その親父私に興味を持ったようで
「最近良く見かけるね。君は何やってるの?」職業のことらしい。
文化放送のADと台本書きの卵だと答えると居合わせた慶応と聖心のグループが一斉にこっちを見た。
 今、考えると40年前、渋谷の小さなコーヒーショップ内では放送関係の仕事は、まだ希少価値だったのかもしれない。
 同じ業界の人間だと思ったプロダクションの親父が聞いてきた。
「○○ちゃん元気?」
ディレクターの名前らしい…が…
私はADのバイトをしているだけで、小さなラジオ番組のわずかな構成を書いているに過ぎないほとんど素人なのだ…にも関わらずついつい調子に乗って即答していた。
「ええ!元気です!」
この弾みで答えたことで後日エライ目に会うが、その話は、またの機会にでも…。
 この『ブーケ』というコーヒーショップ、アットホームな感じがしたのは、当時まだ携帯電話もなく店がある意味、伝言板の役目をしていたからだと思う。ただ、この店に集まっていたが、当時はもちろん誰もが無名だったのだが後に著名になる人間が何人もいた。私も含めて(勝手に含めるな!)と言われそうだから今日はここまで。




ブーケ物語 その②

 政治がきな臭くて生臭くて何だかグチャグチャで気持ち悪過ぎる。少し離れて遥か昔の昭和の残像でも楽しんでみようとブーケ物語その2

この店に来る変な奴、変なグループそして私も2、3年通いつめた。その後はご無沙汰で、でも28年後の後日談もあるが、先ずは、その常連だった2、3年の話を書き留めておこうかと思う。
 当時私は、午前中だけラジオ局でADのバイトをやっていて大学へ行っても友達も居ないし面白くないのでブーケに通うようになっていた。
 その日は、どうしたわけか客が私だけだったのでカウンターに座ってみた。初めてカウンターに座ったせいで何となく本当の常連になった気分になっていた。ママも気軽に話しかけてくれて問われるままに何故来るのかの理由を話していた。
「友達居ないし行くところ無いし、金ないし…」とつまらない答えをしていると例の景山民夫がバタバタ入ってきた。
「高平は?」
ママに尋ねた、景山の言う高平とは後に放送作家として有名になった高平哲郎氏のことで彼らは中学頃からの知り合いだったらしい。
「来てないわよ」
「貸してる金が目的だったんだよな…俺…文無し、行くとこ無し…友達も来ないし…」
ほとんど私と同じことを言う彼の言葉を耳にして思わず笑っていた。
「コーヒー代くらいなら…」と気がつけば口に出していた。
「お?良いの?よし!コーヒーのお返しに仕事紹介しちゃう!コント書かない?」
まったくどういう奴なんだか…何しろ私は、コントが何かも知らない。その上彼とは、まだ2、3回しか会ったことがなかった。
「コントって何?」
「あ!ごめんごめんシャボン玉ホリデーって知ってる?」
「うん」
「あれ!あれがコント…それより今は何やってるの?」
何だか無茶苦茶な話の展開で
「えっと…ラジオ局のADと夜はガソリンスタンド」
「あっそうか整備士の免許持ってるって言ってたよね」
「三級ね」
「じゃ、ここは宮ちゃんの紹介?」
「そう言ったじゃない!」
宮ちゃんというのはホンダ自動車の整備をしている男で整備士学校で一緒になった言わば同期生だった。
「で、ガソリンスタンドで整備士の名前貸ししてるってこと?」
「うん」
「辞め辞め!ガソリンスタンドでオイルまみれになってるよりコントだよ!コント!ね!コント書こうよ!」
結論が早いのは良いのだが、まったくもって人の事を考えていない。第一私は文章なんて作文以外書いたことがない。そう説明しようとすると
「俺の先輩が日テレに居るんだ。シャボン玉のディレクター。その人に見てもらう」
「投稿みたいなもの?」
ブーケのママが我慢できなくなって割って入った。
「民夫!それ仕事の紹介じゃないでしょ!」
でも彼の話は止まらない。
「採用されたら7千円だぜ」
「7千円!!?」
当時の新入社員の月給が2万円くらいだから大金だ。私は悲鳴のような声を上げていた。家賃なんて楽勝!
「……やろうかな……でもさ…俺書けるかな?」
「何言ってんの?字さえ書けりゃ放送作家!自分で言い出したもん勝ち!」
放送作家と言う職業もテレビ番組の成り立ちも、その時初めて景山氏からレクチャーを受けた。時間にして夕方の4時から11時まで6、7時間あまり。良くしゃべる景山民夫だったが、そんなわけで迷惑なことに半強制的に私の放送作家活動が始まった。



ブーケ物語 その①

 放送作家になるキッカケにもなったんだけど
 昔々、渋谷に『ブーケ』と言う小さなコーヒーショップがあったんだ。着物を着た上品なママが一人でコーヒーを入れていて小さな店でカウンターに4人ぐらい、2人がけのボックスが3つ、10人も入れば大混雑だった。でも本当に流行ってた。いつも常連でいっぱいで、だから新参者の私なんぞ、ひっそりと一人離れて座っていた。
 見ていると色々なグループが出たり入ったりしていたが彼らはみんな顔見知りのようで家族みたいだった。もっとも、こっちは常連とまでいかなかったのでチラッと見られて後は完全無視された。そんな状況でも行っていたのは、そのママの淹れるコーヒーが美味かったからだ。80円だか100円くらいだったか忘れたけれど一説には客を見て客の好みの豆を選びミルで挽いてコーヒーを淹れているという話…ホントか?と思いながら注文するといつも自分に合ったコーヒーが出てくるんだな…。
 本来コーヒーが美味いのとママの上品さもあいまって…誰かの愛人?なんて余計な想像をしながら。それでも、とにかく流行っていた。
 こんな店には、それなりに凝った奴も出入りしていて、個性が強かったりひどく自分勝手な奴らの隠れ家ってな感じになっていた。
 いつも気後れしていた私とは違って我が物顔に超常連という顔で出入りしていたのが慶応と聖心のグループだった。もれ聞こえてくる話の内容から彼ら全員が慶応と聖心で、それ以外の人間に対しては上から目線の微かな挨拶だけで口をきこうともしなかった。だから私たち、それ以外の輩は、そのグループに入ることなど絶対にあり得なかった。もっとも入りたいとも思っていなかったけどね…いや…ちょっと入りたかったかな?だって、その聖心の子たちが結構いけてたんだよね。
 入るのは無理でも観察しているのは非常に面白かった。そのグループの中だけで恋愛劇が繰り広げられ、驚くのは元カノと今カノ、元カレと今カレのごった煮状態で、同じ丼の中で右から左へ動いただけって感じの男女交際が清く正しく?行われていた…。
 見ていて思ったのは彼らは、やっぱり選民なのだ。なんたって慶応と聖心だしね。毛並みが良いってことなのかなと思ったわけさ。
 けど…そのグループに半分属して私たちの方に半分属していた奴が居た。そいつが彼らと私たちの橋渡しをしたのだ。故景山民夫氏だ。
 彼は、当時から変わっていて慶応を中退して美大へ行った奴で、つまらないダジャレを、その店のノートにも書いていた。
 実を言えば、こいつが私をテレビの世界に引っ張り込んだ張本人なのだ。先に死んじまいやがったけれど決して私は祈ってやらねぇぞと思っている。
 だって60過ぎて後悔してるんだぞ!こら!責任取れ!さっさと死ぬな!
と…この続きは、また明日にでも…。


義援金募集
FC2「東北地方太平洋沖地震」義援金募集につきまして
源高志のオンライン短編小説(無料)
出版されてない短編をネット公開する事にしました。 他にも追加予定です。
日めくりカレンダー
カテゴリ
最新記事
最新コメント
プロフィール
お問い合わせ

名前:
メール:
件名:
本文:

アクセスカウンター
オンラインカウンター
現在の閲覧者数:
増刷してない拙著紹介
関連DVD
月別アーカイブ
QRコード
QR
最新トラックバック
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。